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理事長・病院長 挨拶

理事長・病院長
西川 梅雄

令和8年元旦

新年あけましておめでとうございます。

本年が皆様にとってより良き一年になりますようお祈り申し上げます。

IHI播磨病院のホームページをご覧頂きありがとうございます。

去年は2人の日本人がノーベル賞を受賞しました。 日本人のダブル受賞は10年ぶりということです。

1人目は生理学・医学賞の坂口志文先生。授賞理由は『末梢性免疫寛容に関する発見』です。 すなわち「制御性T細胞」の発見とその機能解明に関する研究業績が認められたということです。 当院副院長森田秀樹先生は昔大学におられたころ、T細胞(当時はサプレッサーT細胞と呼ばれていた)の研究もされていたそうです。 アレルギー症状抑制、がん治療、臓器移植などへ応用される可能性があります。

2人目は化学賞を受賞した北川進先生。 授賞理由は『金属有機構造体Metal Organic Framework、MOF(または多孔性金属錯体Porous Coordination Polymer、PCP)の開発』ということです。 この金属有機構造体は特定の気体を貯蔵したり分離したりでき、地球温暖化対策への応用も可能と言われています。

昨年10月21日、高市早苗氏が第104代総理大臣に就任されました。日本初の女性総理大臣の誕生です。

新総理の発言「働いて働いて働いて働いて働いてまいります。」(働いて×5)が流行語大賞にもなりました。 「働き方改革に逆行するような発言」などの議論も出ましたが、私はやる気がある時、やらねばならない時、自分の好きなものが仕事である時など時間を考えずに「働く」べき時はあると思います。

私もかくありたいと思います。

「ワークライフバランスという言葉を捨てる」とも言われました。 私はちょっと余分な発言だと思います。 自分の現在のワークライフバランスが100%仕事に偏っているだけのことです。

例えば芸術家。 新しい作品を作る時「寝食を忘れて」創作活動をしてもよいわけで、おそらく「寝食を忘れて」出来上がった作品は、他人から見ても素晴らしい評価を得ることになるのです。

昨年11月に私の母校である「大阪府立三国丘(みくにがおか)高等学校創立130周年記念式典と祝賀会」に卒業生の一人として参加してきました。 皆様ご存じのサッカーJリーグを創った川渕三郎氏が第7回卒業生です。 私の19年先輩です。記念祝賀会で何とか直接挨拶できました(写真①)。 サッカーJリーグ初代チェアマンで現在日本トップリーグ連携機構の会長をされています。

「夢があるから強くなる」と題した川渕三郎先輩のスピーチが約30分(写真②)。 これがなかなか面白かったです。当たり前ですがほとんど高校時代の話でした。

私の印象に残っている川渕先輩の話。

「大学受験失敗して浪人。浪人1年目も2年目も予備校に行かず、毎日三国丘高校へ通ってサッカーをしていた。 ただただ自分の好きなことを一生懸命していただけ。 一見無駄な時間に思えるが、それがないと今の私は確実にいない。 三国丘高校での「5年間」(笑)に感謝している。 皆さんも自分の好きなことを見つけて、一生懸命やって下さい。」・・・みたいな感じで締めくくりました。

この報告の詳細は相生市医師会ホームページの「広報など」のバナーをクリックすると出てきますので見てください。

【写真① 川渕三郎先輩との2ショット。この距離がいい感じ。私はちょっと緊張気味。私の方が老けて見えるのが不満ですけど。】

【写真② 川渕三郎先輩によるスピーチ。(写真①、②ともに承諾を得て掲載)】

ところで日本医師会が昨年6~7月に行った病院緊急調査の結果によると、2024(令和6)年度の経常収支が赤字の病院は全体の62.2%でその開設主体別内訳は公立病院90.9%、国立病院85.0%、公的病院68.4%、医療法人56.4%、その他74%でした。 廃業(倒産)する病院や診療所がかなり出てきました。 この原因は色々あろうかと思います。 人件費や物価上昇に対して診療報酬が1点=10円のまま全く上昇していないことが原因の一つであることは明らかです。 当院も大赤字でした。 わが国の優れた医療制度を持続可能にするために、国民皆様のご理解ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

いずれにせよこのままでは2025(令和7)年度はもっと酷い赤字になるでしょう。持続可能な医療機関とはいえません。 職員全員の「経営感覚」を磨いてほしいと思います。

当院は今後も相生市を中心とする西播磨の住民の皆様の健康をお護りしていきます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

合掌。


【令和7年末の富士山。(畏友西田信一郎先生が横浜市泉区から撮影。許可を得て掲載。)】

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